農業に興味を持ったのは2008年リーマンショック。それまで世界のあこがれだったアメリカ庶民の生活が経済破綻により崩壊、プール付きの郊外のこじゃれた家に住み、ひとり一台ずつ車を持つような生活を送っていた人たちが、一夜にしてすべてを失い、路上で生活する光景がニュースで流れました。
海外に対しては高圧的な態度でのぞむ一方で、市民の生活レベルは高水準を保ってきたアメリカが、いよいよ金融資本の肥大化により、国民生活をも食い尽くす時代が到来しました。
この波は世界中に伝播するだろう、家族を守るためにはどうしたら良いか?
そんな問いに答えてくれる本を教えてくれたのが、マドンナのプライベートシェフとして、世界中にマクロビオティックの魅力を伝えている西邨マユミさんでした。
一冊は、マクロビオティックの創始者、桜沢如一の『新食養療法』。そしてもう一冊が、自然農の神、福岡正信の『わら一本の革命』。日本より海外での知名度の高い両者をすすめるあたりが西邨さんらしい。
人間ひとりひとりが健康で、自然に添った生き方をすることが世界平和への道である、という共通のメッセージは、経済成長のひずみがあらゆるところで露見する現代社会が今後向かうべき方向を指し示していると感じました。
そして、2011年。震災の津波、福島の原発の水蒸気爆発の映像を見て、自分の人生を変えるタイミングがついに来たと直感しました。その日のうちに妻と3歳のこどもを連れて住み慣れた東京を離れ、移住先を探す旅に出ます。
2012年、とくに縁故があるわけでもない福岡県東部の農村、うきは市に移住、マクロビオティック指導者岡部賢二先生の手引きで、自然農で米作りをする良き師との出会いもあり、ついに農的暮らしを実践することになりました。
東京では15年間、音楽業界という切った張ったのヤクザな世界で仕事をし、自分でなにかをつくり出すわけでもない中で金を稼いできたわたしのような人間が、思い切りだけでゼロからスタートした農的暮らし。もし、この実験がうまくいけば、都会の狂った生活から抜け出すためのメッセージになるのではないか?という志を持って米作りに精進しています。
戦前までは、「ものを作る前に米を作れ」という言葉があったそうです。米作りは、すべてのもの作りの原型、エッセンスが凝縮された世界です。職人として持つべき資質の基礎が固められるとともに、自分の食い扶持だけはなんとかできる、という安定感が、お金だけを優先する経済の罠にはまらずにすむ、強靱な背骨を与えてくれます。戦後、世界にはばたいたホンダやソニーの創業者たちも、このような哲学を幼少時代からたたき込まれていました。たんなるもの作りを越えた日本の文化を世界に伝えることができたからこその繁栄といえます。
世界経済はすでにピークを通り越し、有限の地球資源を元手に無限の成長を続けることは不可能である、ということは共通認識としてあります。しかし戦後70年間、経済成長の幻想を追い求めてきた巨大な船は、舵を切ろうとする力よりはるかに強い惰性で進んでいます。いま求められるのは船員の団結、世界規模でものごとを考える思考力を手に入れるために、日本人の誇りを取り戻す必要があります。その根底にある米作りという、日本人が連綿と受け継いできた生命の源を、ひとりでも多くの人と共有したいと願っています。
平成25年9月26日 園主 寺口正人